岡崎嘉平太先生(1897~1989)プロフィール

岡崎嘉平太先生は、1897年(明治30年)、岡山県に生まれ、岡山中学を卒業後、苦学して東京の第一高等学校から東京帝国大学法学部に進み、1922年(大正11年)に同大学を卒業し、日本銀行に入りました。

日本銀行時代には、ベルリンや上海に長く滞在して、激動する世界情勢を目の当たりにし、諸外国との交流や友好の大切さを身をもって知りました。一国家、一企業、一個人の得失に偏することなく、世界的な規模でまた人類の遠い将来を見据えた巨視的な立場からものごとをとらえるという、先生の根幹に脈々と流れている考え方の素地は、このような若き日の様々な体験から生まれたものでした。

戦後、産業界に身を転じ、日本の産業界の復興や新しい技術開発の振興に多大の力を尽くされるとともに、1952年(昭和27年)には、全日本空輸株式会社の前身である日本ヘリコプター輸送株式会社の設立に加わり、1961年(昭和36年)から1967年(昭和42年)まで、全日本空輸株式会社の社長を務め、日本の航空業界の発展に大きな足跡を残されました。

隣国である中国との交流は長く先生の心にありましたが、戦後、本格的に関わるようになったのは1962年(昭和37年)に日中覚書貿易(LT貿易)交渉の責任者として北京を訪問したことに始まります。その時周恩来首相と知り合い、それ以来、周氏と親交を結ぶようになり、中国との友好関係の促進と確立に寄与されました。

このように社会のさまざまな分野で多大の功績を残された先生ですが、常に謙虚で尊大ぶることなく、信ずる道を一途に進まれながら、人の言葉に誠実に対応し、その人柄は多くの人々に感銘を与えてきました。そして、清新で熱い青年の心をもって生涯を歩んでこられた先生の人柄とその仕事ぶりは、今も多くの人々の追慕するところです。